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立花ベニヤ商会

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おまけ

弊社のホームページをご覧いただきありがとうございました。また、このおまけまで到達していただきまして、重ねて御礼申し上げます。このページは、あくまでもおまけということで、社長をさせていただいております立花泉が、身勝手な自己紹介をしているページです。前述の部分と重なる所もございますが、期待しないで、お時間が許される方は、最後までご覧下さい。 なお、2020年のホームページ刷新に伴い、このおまけも、一部加筆修正させていただいております。

私は昭和42年11月17日に、父寛と、母芙佐子の間で生を受けました。父がA型、母がO型で、私自身はA型に近いO型とよく言われます。姉共々、両親の博愛の元で育てられ、小学校時代はものすごく甘えん坊だった記憶があります。そんな私を、両親は将来世継ぎとさせるべく、中学校から全寮制の男子校に入学させました。高校までの六年間の寮生活の中で、親元を離れて生活したことが、私の自己形成に大きな影響を与えました。私には三人の息子がいますが、三人とも私同様、小学校卒業と同時に親元を離れて寮生活をしておりました。親の背中を見て成長してくれるのはありがたい事ですが、親になって初めて子離れする大変さを痛感しました。

東京の私立大学に進学し、六年間の禁欲生活から突然大都会に放たれた私は、「糸の切れた凧」状態になってしまいます。この大学四年間の収穫は、唯一嫁さんを捕まえたということだけです。夜の9時から朝の6時まで、ほぼ毎日ファミリーレストランでバイトして、ほとんど学費を無駄にしてしまいました。我ながら良く留年もせずに卒業できたと思います。父が「東京は日本の中心だから、そこでの生活は将来何かと役に立つ」と私によく言っておりましたが、今のところ特段役に立ったという感覚はありません。今更ながら、大学時代にしかできなかった事を、もっとやっておけばよかったと後悔しております。

大学を卒業すると、段谷産業株式会社というメーカーに縁故入社いたしました。北九州本社での研修の際には「預かりモノ」という冷遇を受け、先輩から嫌味を言われた事もありました。一か月の研修の後、当初より関東地区の支社に配属を希望していた為、東京産業資材部という部署に配属されました。そこの部長さんが筆舌し難いほど厳しい方で、何度「僕は預かりモノです」と逆に言いたくなったことやら分かりません。ただ、数年で会社を去ると分かっている私に、この業界の全てを教えてくださいました。この方との出逢いがなければ、今の弊社の展開はなかったと思います。今でも、ことあるたびに電話をくれる、私にとって仕事上の唯一の師匠であります。

1993年2月に結婚して、その5月に段谷産業を円満退社いたしました。帰郷後、実家の隣の倉庫の二階に夫婦二人で住み始めました。大川での約15年振りの生活では、毎日両親に「おはよう」というのが慣れなくて、ものすごく照れくさかった記憶があります。1994年の3月には長男も産まれ、新鮮な気持ちで、楽しい日々を過ごしておりました。ところが翌年の3月に突然の不幸が襲いかかります。元気だった父が突然亡くなりました。動脈瘤破裂でした。病院で「念のために手術をしましょう」と言われて、予定していただけに、本当に残念でなりませんでした。この時は、たまたま妻が東京の実家に帰っており、私も両親の所でご飯を食べさせてもらっていたおかげで、あっという間でしたが父の最期を看取ることが出来ました。私も今は三人の息子を持つ父親ですが、彼は本当にすばらしいお父さんでした。孫を見せることができたとはいえ、当時はあまりの突然さに悲しむ余裕も全くなく、13回忌を過ぎた頃からやっと、父が懐かしく、恋しく想うようになりました。

帰郷と同時に社団法人大川青年会議所に入会し、2005年には第36代の理事長もさせていただきました。地元のボランティア活動を初め、様々な研修活動にも参加して、日本全国の色んな方との出会いもさせていただき、私自身の見聞を広めるのに大変役に立った13年間のJCライフでした。

あくまでも個人的な話ですが、2017年の4月にヤマシタ産業株式会社の代表を兼任させていただくことになりました。ヤマシタ産業とは、大川では老舗の名門材木問屋でしたが、後継者問題もあり、壁にぶつかった状態になっておりました。いきさつを話せば長くなるのですが、この話もある人との出会いがきっかけです。ヤマシタ産業の経営も、ありがたい事に予定より上振れしている状況です。資本の関係もない全くの別会社ではありますが、今後は更なるシナジー効果も期待できると考えています。

今、振り返ってみますと、私は本当にラッキーな人生を歩ませていただいていると、心の底から感じます。様々な経験、色んな方との出会い、そういった全てが自分自身の糧になり、今の私が存在しています。ありふれた言い方ですが、「おかげさまで生かされている」という感覚を実感させられております。今の時代、この木材業界が置かれている状況も、ものすごく厳しい荒波のまっただ中だと思われます。ただ、私の場合は、周囲の色んな方が、「おい、立花、こっちへ来いよ」と波の静かな方向に引っ張ってきてくれているような気がしてなりません。他人任せの経営では決してありませんが、少なくとも周囲の方からのお力添えのおかげで、会社経営が出来ていることは間違いありません。これからもそういった力を糧として会社経営を続けて参ります。

おまけの長文に最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
縁がありましたら是非宜しくお願いいたします!

立花 泉